人間ばっかり

2009年5月31日(日曜日)雨 手術後68日目

本日は、動物自然愛護団体「熊森会」の栃木支部発足会に出席しました

昨今,熊が人里に出没している原因は間違った植林と森林破壊にあり
やがては、これ等の環境破壊は子孫に悪影響を及ぼす
その解決策を皆で模索していこう・・との主旨で集まった会です
大半は60歳以上の方々で、人生の大先輩の皆さんが子供の様に目を
輝かせて熱く語る姿は実に清々しくいいものでした。
啓蒙活動用の手作りの紙芝居「 どんぐりのもりをまもって」
にはいい歳をして不覚にも涙してしまいました



野生動物との共存、自然破壊、それらに無関心でも生きては行けます
しかし、今までどおりの享楽やおごり、消費を続けるのと同時進行で
何かが静かに腐敗し崩壊していっているのではないでしょうか
考えなくてはなりません みんなで考えなくては
森や空や水や空気や生き物の事を

昼食は妻と自然食レストラン「野の苺」に行きました
有機栽培野菜、無農薬野菜を使用しているとの事
食べ放題のビュッフェスタイルで美味な為、食べ過ぎてしまいました
いくら健康食とはいえ、食べ過ぎに大いに反省!
罰として晩御飯は抜きだな 


こんな贅沢していていい訳無いですよね
日本人ばかり、人間ばかり こんな飽食を続けて
その内バチが当たるかもしれません

サボル

2009年5月30日(土曜日)手術後67日目

東京大学病院の緩和ケアチームによって実施された調査で、81パーセント
の癌患者が最後まで病気と闘うと解答した一方、自分ががんになったら最後
まで闘うとした医師はわずか19パーセントである事が公表されました。
医師が最後まで闘わないというのは、おそらく治療の限界を知っているから
だと調査の医師は語っています  (NHKワールドラジオ日本より)

退院する時、ドクターKや看護師さんから言われました

「手術・治療等 病院で出来る事は全てやりました 後は自分で治すべし」

「がんは明らかに生活病」だと 癌患者研究会の川竹さんは明言しています
肉食を絶ち、玄米食に変え、早朝ウォーキングを開始しました
体重も19Kgの減量に成功し、血液検査の値はパーフェクトです
しかし、仕事に執着していまう精神はなかなか変えられません
何をおいても仕事を最優先にして、体の事を顧みない
これが僕の一番の問題の様です

ユダヤ教の信徒は安息日を戒律として厳格に守っています
「6日間は獣として働き、安息日には人間に戻り、神を礼拝する」
人間は怠ける欲望と同様に働き続ける欲望も持ち合わせている
この言葉がこれからの自分のライフスタイル変革のヒントになるかも知れません

Gember KingのリーダーのUssey師匠に素敵な芸名をつけて頂きました
「サボール」 何かスペイン系で格好いい響きがあります この名の通り
これからは、サボル人生にちょっとトライしてみます
勿論いい意味? でですよ!

Yes We Can

2009年5月29日(金曜日)雨 手術後66日目


朝のウォーキング時にはいつも前の晩に録音したNHKの英会話を聞いています。今日、雨の中歩き始めると番組中、実にタイミング良くジョニー・ナッシュの「I Can See Clearly Now 」が流れ始めました

いま はっきりと見える 雨が上がって

行く手をさえぎるものがすべて見える

目を覆っていた黒い雲が去って

今日は 明るい 明るい 太陽の輝く日になりそうだ

これできっとやれると思う 痛みが消えたから

あのいやな気持ちのすべてがなくなっている

ついに祈りが通じてあの虹がでている

今日は 明るい 明るい 太陽の輝く日になりそうだ・・・・・

英語の「CAN」という語に欧州人の気概を感じる事があります
一昨日のラジオ英会話はオバマ大統領の演説がテーマでした。
この演説の中にある有名な「 Yes We Can 」という言葉に
癌患者として共感し奮い立つものがあったので紹介します
       以下 大統領演説 
私たちは、立ち止まって現実を見たらどうかと云われました。この国の人々に見せかけの希望を与えるなと警告されました。しかし、アメリカという未曾有の物語の中で、希望というものが見せかけであったことは、未だかつてありません。なぜなら私たちが勝算ゼロという事態に直面したとき、あなた方はまだ早い、あるいはあなた方はやるべきではない、あるいはあなた方には出来ない、と云われた時、アメリカののこれまでの様々な世代は、人々の精神を端的に表す素朴なスローガンで応えてきたからです。

 『 Yes  We  Can    Yes  We  Can 』  


「  癌を治してみせる 絶対出来る Yes  We Can!  」

オバマ大統領ありがとう


給料日

2009年5月28日(木曜日)手術後65日目

枝豆の芽が出ました
いかにもあの美味しい枝豆の様相を呈していて笑ってしまいました
植物が育つ過程を観るのは楽しいものですね
小学校の時アサガオを育てた時を思い出します

これから雨のシーズン、トマトの雨よけにシートを貼り付けました
今年はどんなトマトが育つかなあ

昨日は給料日、 4月の労働に対する給料なのですが
4月は入院と自宅療養の為ほとんど仕事はしていないのに
ほぼいつもと変わり無い額なのには感謝せずにはいられません
有難うございます 会社の皆さん

注文していたギターのチューナーが届きました。30年以上前、アマチュアバンドとプロの違いの一つは正確にチューニングが出来るか否かでした。当時2万円近くもしたチューナーを買った覚えがあります。このチューナーは僅か1800円!クリップした場所でギターの弦振動を捕らえてチューニングが合うと緑色に変色するという使いやすさ。最近買ったあらゆる電子機器の中でもこれは◎です。 ゲンバーキング今年もやるぞ---早速8月ライブの予定の打診が師匠Useeyさんから、、、、よっしゃ



岩盤浴

2009年5月26日(火曜日)手術後63日目

本日は久し振りに岩盤浴「嵐の湯」に行って来ました
「嵐の湯」とは岩盤浴の一種で、岩盤の替わりに熱せられた砂利の
上で横になるのが特徴です 最初は50度近い温度に驚いたのですが
汗が出るわ出るわ、、浴場の注意書きにもある様に10分が限界
休憩を挟み5回程繰り返し入浴すると気分爽快、身軽になった気がします
(玉川温泉と同様、癌に対する免疫力を高める効果があるとの事)

癌患者に対して、この施設では上の写真の様に特別会員カードを
発行して下さって、使用料が半額になるのが有り難い。
このカードが癌になって受ける恩恵の第一号でした
その後癌になったお陰で実に沢山得るものがあったのですが、、
それは又後日という事で

手術前、癌に対する不安があり、かなり悶々とした気持ちで
通いつめていたのですが、今日こんな穏やかな気持ちでここに来れるとは、、

休憩室の屋外テラスにくつろぎ、瞑想に浸ります
さあてこれからの人生テーマを考えるか

残された人生 世の為、人の為、何が出来るのだろうか

爽やかな5月の風が実に心地良い宵の口です


浴場なのでさすがに撮影は控えました。
写真は同施設サイトから拝借した浴場内風景です

百里基地

2009年5月25日(月曜美)手術後62日目

北朝鮮核実験実施 浮遊放射性物質、空自機で収集へ-防衛省

今日は土浦出張を口実に百里基地にちょいと寄って来ました 。核実験の緊迫したニュースた伝えられる中、T4機が活発にタッチアンドゴーを繰り返していました。2006年の北朝鮮の核実験時と同様、T4が放射物質収集活動をする機体になるのでしょうか。訓練内容がいつもと異なる様です。国際情勢に敏感に反応しているのが良く判ります

そう云えばレシーバーから聞こえてくる
コールサインはいつもと異なるものでした

空港上空を何回も飛行するT4

同時にF4での訓練飛行も行われていました
例によって北門付近は望遠レンズと脚立を携えたマニアで一杯
本日はご年配の方の姿が目立ちました
お話を伺うと朝から晩までカメラを構えているらしいです
今日は、夜間訓練がある様なので
夜間撮影に向けての話題で盛り上がっていました  僕のコンパクトデジタルカメラではこれが精一杯
戦闘機はエアラインと異なり、あまりに速いのでなかなか
レンズに収まってくれません

ありゃりゃ 外れた
着陸すると思いきや、低空飛行で通過上昇するF4

以前林があった場所も綺麗に整地・盛り土されていて、空港全体が見渡せます








F4が盛んに空港上空を高速で通過してして行きます。
F4の爆音は破壊的で「ファントム」の名前がお似合い
F15よりもアメリカ的でダイナミック
ベトナム戦争当時からの雄姿です
本日はF15の飛行は見られませんでした。
しかし、格納庫前には数機のF15がキャノピーを開けて駐機しているのが
見えました。もしかして、夜間訓練に向けて待機中かな 、、
当然ながら成田空港と異なり緊張感が漂う本日の百里基地でした

野菜の花

2009年 5月24日(日曜日)手術後61日目



ゴーヤの小さな花が咲きました
茄子もトマト達にも次々と小さな花が開きました
何の変哲も無い日曜日の朝なのですが、
よく観察すると周りには実に多くの変化が起きています


午前中、来月頼まれているPAオペレーション打ち合わせの為
宇都宮に出掛けました。PAオペレーションというのは早い話、
音響屋の事でコンサート会場の一番いい席でツマミが沢山ついた機材を
もっともらしい顔をしていじっている輩の事です

友人のコンサートをサポートする為に買い集めた音響機材が
いつの間にか増えてしまいPA屋が出来る程になりました
今では多種イベント、コンサート等の仕事が舞い込み、
ちょっとした副業になっています

本来、音響業は専門学校を出て何年か修行を経てオペレーターを
許される大変厳しい世界の様です 
僕の様な素人がやってていいのでしょうか  プロの皆さんごめんなさい
写真は過去に担当したコンサートのスナップです
手前のゴチャゴチャした機材がミキサー、これをいじる人がオペレーター、
PA屋とは何かお分かり頂けたでしょうか


午後になり今度は農作業です
最近柄の部分が収縮して抜けやすくなってきた鍬の手入れをしました 鉄製のくさびを打ち込み、水に浸して柄を膨張させる事により元通りになりました
 
さあてと、  耕すぞお

畑仕事・音楽 安息日は結構忙しく過ぎていきます

水に漬け込んで柄を膨張 させるとガッチリ固定

山椒の実

2009年5月23日(土曜日)手術後60日目

朝起きて、山椒の実を摘みました
昨年の秋に摘んだ実は既に皮がはじけてしまった状態で
使用出来ませんでした 摘む時期を母に教わり、今年こそは
山椒の実の粉を作ってみようと思います

これからの暑い季節、豆腐、鰻、煮物、山椒は大活躍!

摘んだ実は干してカチカチにしてミル等で挽いて使用します

夕方からGemberKingの練習がありました
今日は久し振りでキーボードのシホちゃんが加わりゴージャスセッションです
新曲も出来上がって来ました    Useey師匠からの耳寄りな情報
バンドのオリジナル曲「祈りの灯」が美術館製作DVDのBGMに使用決定
との事  次回ライブは何時?とのリクエストが多々あるとの事
嬉しいじゃありませんか!ガンガン行きましょう!

下はいつも練習でお世話になっています「MIFUMI ログハウススタジオ}

鍬と麦わら帽子

2009年 5月22日(金曜日)手術後 59日目

誕生日に妻が麦藁帽子と鍬をプレゼントしてくれました
この三角形の草削鍬がずっと欲しかった、、
ウォーキング途中で見かけるプロの農家
の方が畝間の除草に使っているのを見て、いつも思っていました

十年以上普通の鍬を草削りに使用していたのですが、この鍬を使用してみて、こんなに畝の手入れが簡単に 出来るなんて、、 感動しました

先日NHKの野菜の時間を見ていて枝豆作りが楽しそうだったので
早速種を買って来て植えつけてみました
枝豆の種とは、いつも豆まきに使っている大豆の事なんですね
枝豆の栽培は初体験なので楽しみです


ポットに指で1cmくらいの穴をあけて植え込んであります
さあ、どんな芽がでてくるのだろうか ワクワクするなあ
妻からのリクエストで料理にちょいと使用する為のパセリと青シソも植えました
以前青シソを植えてシソジャングルにしてしまった苦い経験があるので、
植える場所を慎重に考えました シソの繁殖力は旺盛ですね

ひこうき雲

2009年5月21日(木曜日)手術後58日目



今日も朝から素晴らしい天気です
上空を見上げると6時前だというのに4発エンジンの飛行機雲が・・

「おーーーい何処へ行くんだあ」


遥か上空を飛行機雲を引きながら飛んで行る
航空機が何処へ向かっているのか知りたいと思いませんか
何と、それが自宅で簡単に出来るのです!

航空機から発信されているデジタルデーター(ACARS信号)
をエアバンドレシーバーにて受信し、それをPCに取り込んで
専用のソフトにて解析すると航空機の便名、出発、到着地、
高度、位置、風向、風速が判ります
このデーター解析用のソフトとして日本人KGさんが
KACARSというソフトウェアーを無料提供しています
このソフトは捕捉した航空機の画像まで表示してくれるという
素晴らしいものです 

試しに丸一日受信してみたものが下図
僕の住む日光の田舎でもこんなに多くの航空機がキャッチ出来ました

KGさんに感謝 感謝



子供の頃の夢が又ひとつ叶いました

足踏みオルガン

2009年5月20日(水曜日)手術後57日目

僕は電子楽器修理を生業としています
毎日の様に電子楽器をいじっていると目の前の楽器は単なる
電子部品の塊であるかの様な気持ちになってきます
はて、僕にとってのオルガンとは何だっけ?
僕のオルガンへの思いは遠い過去の記憶の中、
幼い頃 母がオルガンで奏でていた讃美歌やベートーベンにあります
その音色は僕にとって昭和30年代の懐かしき時代の象徴でした
ですから、教会や学校の片隅で埃まみれで物置となっているオルガンを
見ると 捨て猫を見つけた時の様に沸々たる愛惜の思いが
湧き出てくるのです

そんな訳でオルガンの修復は僕にとって特別な意味があります
足踏みした時の音「スーハー スーハー」生き物の様な息吹
押鍵から発音タイミングが少し遅れる「間抜け」さ
ブラス製リードの音程が狂って生じるうなり音
なんて素敵な楽器なのでしょうか

この偏屈でもあり可愛くもあるオルガン達の修復記録を
時々アップします

今回取り組むのは戦後製造されたカワイリード足踏みオルガンです
水戸在住のある方からのご依頼でした
ネジというネジをすべて外して鍵盤部分を分離します
鍵盤の下にリフレクターがありここにリードがずらりと並んでいます
数十年の誇りがまるで絨毯の様に積もっているのが常です 
全て取り外されてしまった側板部分
60年間経過したフイゴはご覧の通りボロボロ
これを接面を痛めないように注意深く剥がして行きます
接着にはニカワが使用されているのですが、かちかちに固まった
ニカワは簡単には除去出来ません お湯に浸した布で時間を掛けて
丹念に拭き取ります
フイゴを剥がして接着部を清掃しました
蝶番が痛んでいる事が多いので、ステンレス製に交換
問題のニカワ ゴム系接着剤に慣れてしまった僕には実に厄介な代物です
板状のニカワを電磁調理器にて溶かして行きます 粘着度はかなりトロトロに
なるまで水を加えて調整します 電磁調理器だと温度が一定に保ち易いので
重宝しています 但し、汚すと奥さんに叱られるので注意
フイゴを剥がした状態で寸法を測り、型紙を作る
裁断したラバークロスをフイゴに貼り付けます
手早く貼り付けないと、すぐにニカワが硬化して行くので
職人業が要求されるのがこの作業です
フイゴに取り付ける弁もこの際奮発してラバークロスから
羊の皮に取り替える
何回やってもモタモタしてしまうのですが、何とか隙間無くここまで貼り付ける
事が出来ました
フイゴの皮交換がオルガン修理の要、これさえ成功すれば後は楽勝!
アンティック仕立てにする為、油性ニスの上澄みでオルガン全体を
塗って行くと こんな感じで完成

持ち主の元に送り届けました
鍵盤蓋のエンプレム カッコいいですね 足踏みオルガンとしてはまだまだ新しい部類なのでブラス製リードは
全てそのまま使用出来ました(勿論、調律は必要)
小型の割りに良く鳴るオルガン君
粗大ごみにならずに済んで良かった良かった!

誕生日


2009年5月19日(火曜日)手術後56日目



本日、53回目の誕生日を迎えます

癌の告知を受けた時、割と冷静に「死」を考えました
52年も生きてきたのだからもういいのでは無いのかと
病の為にあと僅かで終わってしまう人生の
諦める理由を探し始めていました

お前の人生は何だったのか原稿用紙一枚で述べてみよ
そんな問題を出された時、何と答えたらよいのでしょうか
人は何の為に生きているのか・・それに対する明白な答えを聞いた事が
ありません 唯一キリスト教のウェストミンスター大教理問答に
自信に満ちた答えがあります

「人は神の栄光を表す為に生きている」

なんじゃそりゃ?

癌になって骨身に沁みて判りました

人は何の為に生まれて来たのか

聖書は繰り返し述べています

「お前は愛される為に生まれてきた」

眠る子猫を膝にのせながら思います

誰かに愛されているのならば もうそれで充分だよなあ

猫の様に明日からはもっと素直に生きよう、誠実に生きよう

人の悪口は止めよう、感謝して生きよう、静かに生きよう、 

そう思いながらワインに酔う53歳の誕生日でした